⑴ 弁護士が話を聞いてくれない?
ア 「弁護士が話を聞いてくれない」という苦情があります。確かに、多忙などで、そのよ
うなこともないではないでしょうが、信頼関係を揺るがすことにもなりますので、弁護士
としては、心して依頼者の声に耳を傾けなければなりません。
しかし、そうした苦情の多くは、「依頼者が話したいこと、望むこと」と「事件処理に
あたって弁護士が聞くべきこと、なし得ること」との間に齟齬があることに大きな原因が
あるようにも思われます。
依頼者は、どうしても紛争の原因や経緯といった心情的な話や自らの正当性の主張に傾
きがちになりますし、それは理解できないではないのですが、弁護士は、その職務からし
て、最終的な解決手段である訴訟を念頭に、もっぱら法的に意味のある事柄を尋ね、それ
を基に法的な判断を示すことになります。
民事訴訟は、後述する「要件事実」という考え方に基づいて運営されており、民事関係
の司法修習は要件事実教育に尽きるといえますが、法律を学んだ司法修習生のほとんどに
とって初めて学ぶ事柄であり、市民の皆様の理解が及ばないのも当然のことでしょう。
勿論、弁護士としては、そうした事情も含めて丁寧に説明する必要があるのですが、市
民の皆様にも、その概略について、一応の理解をしていただくことも意味があるのではな
かろうかと思います。
イ 民事訴訟は、裁判所が、原告の主張する権利や法律関係(訴訟物)の存否を判断するも
のであるところ、権利や法律関係は観念的なものであって直接認識できるものではなく、
その存否は、権利の発生・障害・消滅の有無によって明らかにされ、更に、そうした権利
の発生・障害・消滅は、それらを規定する法規の要件に該当する事実が存在したかどうか
によって判断されることになります。
そして、裁判所は、法規を大前提、法規の要件に該当する具体的事実を小前提として、
結論としての権利・法律関係の存否を判断することになります(法的三段論法)。
そのように、法規の要件に該当する具体的事実こそが重要であり、当事者が主張しなけ
ればなりません。
なお、実際には、法規の要件に該当する具体的事実(主要事実)のほか、主要事実の存
否を推認させるような事実(間接事実)、証拠の信用性に影響を及ぼす事実(補助事実)
等も主張しますが、いずれにしても、弁護士の関心は、当該紛争に関して法律的に意味を
持つ事実に向けられることになります。
ウ 上述のように、民事訴訟では、訴訟物(審判の対象となる権利・法律関係)に応じて、
原告は何を主張すべきか、それに対し被告はどう反論できるかのパターン(攻撃、防御方
法)が定まることになり、攻撃方法、防御方法のそれぞれにつき主張しなければならない
事実(要件事実)と立証責任が分配されることになります。
例として、貸金(元本)の返還請求(弁済期の合意のある場合)につき、争われる場合
をみてみましょう。
A 原告は、
請求の趣旨として、例えば、「被告は、原告に対し、金300万円を支払え」と記
載します(求める判決主文と同一)。
請求原因として、①金銭の返還の合意、②金銭の交付、③弁済期の合意、④弁済期
の到来、につき具体的な事実を主張すれば必要かつ十分となります。
B これに対する被告の対応として、
ⅰ 請求原因事実を否認する
ⅱ 請求原因事実と両立し、かつ請求を排斥できる事実を主張する(抗弁)
ことが考えられます。
C それに対し原告は、
ⅰ 否認された事実を立証する(立証責任を負う)
ⅱ 抗弁事実と両立し、抗弁の効果を覆滅する事実を主張する(再抗弁)
ことが考えられます。
このように、請求原因―抗弁―再抗弁―再々抗弁といった形で、攻撃、防御が行われる
ことになり、貸金返還請求では、「弁済」、「相殺」、「消滅時効」の抗弁、消滅時効の
抗弁に対し、「時効中断」、「時効援用権の喪失」の再抗弁を主張して争うことがありま
す。
訴訟物 金銭消費貸借契約に基づく貸金元本の返還請求権 請求原因 ① 金銭の返還の合意 |
---|
なお、上記は、「消費貸借の終了に関するもの」であり、「消費貸借の成立に関するも
の」として、公序良俗に反し無効(90条)、心裡留保(93条)、錯誤(95条)によ
る無効、行為無能力、詐欺、強迫(96条)等の取消しによる無効を主張するという防御
方法が生じる場合もありえます。
また、事実主張に対する相手方の対応には、「否認」、「不知」、「沈黙」、「自白」
があり、それによって争点を明らかにし(認否)、更に、抗弁があれば主張するというこ
とになります。
⑵ 紛争の終局段階における信頼関係
示談交渉や訴訟が終局段階を迎えると、時に、信頼関係を試される事態が生じることがあり
ます。
そうした段階に至ると、それまでは一致協力して相手方に対していたものが、一転して、弁
護士が、納得しがたい思いを抱く依頼者を説得するという形で、弁護士と依頼者の関係がクロ
ーズアップされることになり、いかに信頼関係を保つかが焦眉の急となります。
このことは、弁護士が話を聞いてくれないという苦情にもつながるものであろうと思われま
す。
交渉や手続の進展に伴い、新たな事実や相手方の理のある言い分が明らかになったり、裁判
官の心証の開示や和解案の提示が依頼者に不利であることもありがちであり、そうでなくとも、
互譲が求められる和解では、必ずしも依頼者の意に副うものでないことも多くなります。
弁護士は、その職責上、依頼者の権利や利益を最大限に実現すべきではありますが、弁護士
としての良心に従わねばならず、依頼者の利益も正当なものでなければなりません(職務規定
21条)。
そして、事件処理に当たり、弁護士は、自由かつ独立の立場を保持すべきことから(同20
条)、委任の趣旨の範囲内で広い裁量権が認められており、依頼者に対して誠実でなければな
りませんが、拘束されるものでなく、同化してもいけないとされています。
したがって、弁護士としては、交渉や裁判手続の結果として当該解決案が相当であると判断
したときは、結局は依頼者の利益にもなるとして、依頼者に理解を求める努力をすることにな
ります。
勿論、弁護士は、なぜ当該解決案が妥当であるのか、時間をかけて丁寧な説明をしなければ
なりませんし、依頼者としても、遠慮なく疑問点について尋ね、考えるところを述べるべきで
す。
相互にそうした手順を踏み、双方の立場を理解しあって、最後まで信頼関係を維持できるよ
うにしたいものです。
⑶ 個ではなく全体として
弁護士が裁判官を見ているように、裁判官も弁護士をよく見て(評価して)いますが、東京
地裁などと違って裁判官が多くない裁判所では、同じ裁判官に当たることも多く、そうした傾
向がより強くなります。
弁護士としては、言動や書面は節度を保ち、主張すべきところは主張し、譲るべきところは
譲るといった適切かつ柔軟な活動をすべきであり、依頼者の信頼を得ていることも示さねばな
りません。そうした日ごろの訴訟活動があってこそ、本当に主張しなければならないときに、
その主張や立証が信頼度の高いものと判断されることにもなります。
勿論、個々の事案についても大事ではあるのですが、いつも過剰な表現や最大限で無理の多
い主張をしたり、譲ることも少ないということでは、依頼者の利益を形式的には図っているよ
うであっても、実質的には損なうものであるといわねばなりません。
そのようなことでは、いざ本当に重要な主張をしたとしても、オオカミ少年の寓話のように、
その弁護士のいつものことと解されてしまう虞があり、そうなっては、当該事案は勿論のこと、
結果的にすべての依頼者に対して不利益を及ぼしかねないことにもなります。
⑵に関連しますが、こうした点からも、妥当と解される解決案に対しては、理解を示してき
ちんと応じておく必要があるのです。それが、ひいては依頼者の利益にもつながることになろ
うと思います。