5 相続の承認と放棄


 相続人は、相続を、無条件・無制限に承認(単純承認)するか、条件付で承認(限定承認)する
か、放棄するかを、自由に選択することができます。
 相続人は、相続開始の時から、被相続人の財産に属した一切の権利義務を承継するとされていま
すが(民法896条)、現代の個人主義に基礎を置き、被相続人の財産や債務を承継するか否かを
相続人の判断に委ねたものです。
 他方で、選択期間を3ケ月に制限し(915条)、相続財産の処分があれば単純承認とみなして
(921条)、相続債権者ら関係者の利害や法的安定性との調整を図っています。


  1 単純承認
   
   ⑴ 単純承認とは、相続人、被相続人の権利義務の承継を無限定(無条件・無制限)に承認す
    ることであり、単純承認することによって、「無限に被相続人の権利義務を承継する」こと
    になります(920条)。
     つまり、相続債務については、相続財産で足りないときは、自己の固有の財産で弁済しな
    ければならないということになります。
     単純承認の手続に関する規定はなく、何らかの意思表示があれば足ります。
  
   ⑵ 法定単純承認
    
     法は、単純承認の意思表示をしなくても、単純承認をしたと同視すべきような一定の行為
    をした場合に、単純承認をしたものとみなす規定をおいています。
  
    ア 相続財産の処分行為(921条1号)

      相続財産の全部または一部を処分したとき。ただし、保存行為や短期賃貸借契約は差支
     えありません。
      ここでの「処分」は、限定承認、放棄をする前の行為が対象であり、売買等の法律上の
     処分のほか、故意による毀損、滅失等の事実上の行為も含みます。
      どの程度の処分が、ここでの「処分」に当たるかが問題となりますが、当該処分行為の
     目的・趣旨、当該財産の経済的価値、相続財産全体の額、被相続人・相続人の状況などか
     ら総合的に判断されることになろうと思われます。
      形見分けについては、裁判例も分れていますが、相続財産のごく一部で経済的価値が僅
     少であれば、ここにいう処分に該当しない蓋然性が高いといえます。
      葬儀費用について、大阪高判平成14年7月3日は、身分相応の当然営まれるべき程度
     であれば法定単純承認にあたらないとしています。

    イ 熟慮期間の徒過(同条2号)

      相続人が限定承認または相続放棄をせずに熟慮期間を徒過すると、単純承認したものと
     みなされます。
      相続人の自由な選択権や調査の必要性がある一方、いつまでも決まらなければ相続債権
     者や他の利害関係者の立場を不安定にし、法的安定性を欠くことから、その調整を図るも
     のです。

    ウ 背信行為(同条3号)

      相続人が、限定承認または相続放棄をした後であっても、相続財産の全部または一部を
     隠匿するなどの背信行為があった場合、単純承認とみなされます。
      相続債権者を害する背信的な行為をした相続人が、限定承認や法規の利益を享受するこ
     とができるとすると衡平を欠くことになるからです。
      ただし、当初の相続人が相続の放棄をしたことによって相続人となった者が相続の承認
     をした後に、当初の相続人が相続財産の隠匿行為等をしても、法定単純承認の規定の適用
     はありません(同号但書)。
      なお、次の相続人が相続の承認をする前に、当初の相続人が相続財産の隠匿行為等をし
     た場合は、当初の相続人の放棄を無効として、単純承認をしたものとみなすことになりま
     す。

  2 限定承認
  
   ⑴ 限定承認の意義

     限定承認とは、相続人が相続によって得た財産の限度で被相続人の債務の負担を承継する
    という相続方法をいいます。
     民法が、相続債権者、相続人や相続人の債権者等の利益を保護し、利害を調整するために、
    相続財産と相続人の固有財産を分離する制度として設けたものが、相続人を保護する「限定
    承認」であり、債権者を保護する「財産分離」の制度です。
 
   ⑵ 限定承認の方式
   
     限定承認は、相続人が複数のときは、共同相続人全員が共同してしなければならず(民法
    923条)、熟慮期間内(915条)に、財産目録を調整して家庭裁判所に提出し、限定承
    認をする旨を申述します(924条)。

   ⑶ 限定承認の効果

    ア 有限責任

      相続人は、相続財産の限度で債務を弁済すればよく、自己の固有財産を弁済に充てる必
     要がありません。
      相続債務自体が減縮するものではありませんから、相続債権者としては債権全額を請求
     することができ、相続人がこれを任意に弁済したときは有効な弁済となり、非債弁済とな
     るものではありません。

    イ 財産の分離

      相続財産と相続人の固有財産は分離し、被相続人と相続人間の債権債務が混同により消
     滅することはありません(925条)。
      相続債権者が相続人の固有財産に執行することはできず、相続人の債権者が相続財産に
     対して執行することもできません。
 
    ウ 相続財産の管理義務

      限定承認者は、その固有財産におけると同一の注意をもって相続財産の管理をしなけれ
     ばなりません(926条)。
      管理義務者は、単独相続では限定承認者、共同相続では家庭裁判所に選任された相続財
     産管理人たる相続人となります(936条)。

    エ 清算手続

      限定承認者は、限定承認後5日以内(相続財産管理人たる相続人の場合選任後10日以
     内)に一切の相続債権者及び受遺者に対し、限定承認をしたこと及び2か月以上の期間を
     定めてその期間内にその請求の申出をすべき旨を公告し(927条1項)、これに、同期
     間内に請求の申出をしないときは採算から除外される旨を付記する必要があります(同条
     2項)。
      更に、知れている相続債権者及び受遺者には、各別に申出の催告をする必要があります
     (同条3項)。
      催告期間経過後、法定の手続に従って弁済が行われ(929条以下)、残余財産があれば、
     相続人に帰属することになります。
 
   ⑷ 限定承認制度があまり利用されていない理由
  
    ア 限定承認があまり利用されない理由として、①原則として、「相続の開始があったこと
     を知った日から3か月以内」の期間制限があること、②相続人全員で申請しなければなら
     ないこと、③手続に時間がかかり面倒なこと、④みなし譲渡所得として予想外の課税がな
     される可能性がある、といったことが挙げられます。
 
    イ みなし譲渡所得課税

     ⅰ 納税者が死亡した場合、相続人が1月1日から死亡した日までに確定した所得金額及
      び税額を算出し、相続の開始があったことを知った日の翌日から4か月以内に進行と納
      税をしなければなりません(準確定申告)。

     ⅱ 限定承認をした場合には、単純承認と異なり、相続開始時点で被相続人が財産を相続
      人に譲渡したものとして譲渡所得税が課せられ(みなし譲渡所得、所得税法59条1項
      1号)、相続人がその納税義務を承継し、当該譲渡所得の申告を準確定申告によって行
      うことになります。

     ⅲ みなし譲渡所得課税の趣旨は、被相続人の所有期間中における資産の値上がり益を被
      相続人の所得として課税し、これに係る所得税額を債務として清算することにより、限
      定承認をした相続人が相続財産の限度を超えて負担することのないようにするというこ
      とにあるとされています。
       しかし、不動産等の含み益の大きな資産がある場合には、単純承認に比して多額の税
      金が課せられる可能性があり、また、準確定申告期間は延長が認められていないことか
      ら、熟慮期間中に申告期限が到来して期限後申告になった場合には、無申告加算税、延
      滞税が課せられるということにもなってしまいます。

    ウ 限定承認には、大きなメリットもありますが、他方、上述のようなデメリットや税務上
     の問題が生じる可能性があり、また、清算手続において任務懈怠や不当弁済による損害賠
     償責任を負うことがある(民法934条)ことから、限定承認を選択するについては、慎
     重な判断が必要となります。

  3 相続放棄
 
   ⑴ 相続放棄の意義

     相続放棄とは、相続人が自己のために一旦生じた相続の効果を否認する意思表示をいいま
    す。
     遺産が債務超過状態にある場合に、相続人をその重圧から解放することを目的とした制度
    ですが、家業を後継者に委ねるために後継者以外の相続人が利用することなどもあります。
 
   ⑵ 相続放棄の方式
   
     相続放棄は、熟慮期間内(民法915条)に、家庭裁判所に、相続を放棄する旨を申述し
    て行います(938条)。
     相続放棄ができるのは、相続人かその法定代理人となりますが、法定代理人の場合には利
    益相反が生じないよう注意が必要です。

   ⑶ 相続放棄の効果

    ア 相続放棄の遡及効

      相続の放棄をした者は、その相続に関して、始めから相続人とならなかった者とみなさ
     れます(939条)。
      相続開始前の期待権的な相続権(推定相続人であること)もないものとされ、したがっ
     て放棄者を代襲相続することもありません。
      同順位者全員の相続放棄により、後順位の者が相続人になります。

    イ 相続財産の管理義務

      相続の放棄をした者は、その放棄によって相続人となった者が相続財産の管理を始める
     ことができるまで、自己の財産畏置けると同一の注意をもって、その財産の管理をしなけ
     ればなりません(940条)。
  
   ⑷ 税法との関係

     相続を放棄した者があっても、税法上、法定相続人の数は、その放棄がなかったものとし
    て場合の相続人の数とされ、相続税の総額にも変動はありません。
     相続税に変動が生じるとすると、相続放棄を逡巡したり、租税回避のための相続放棄を誘
    発するなどの弊害が生じるおそれがあるからです。




 

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